・手が不自由。スプーンで食べているが口元に届くまでにこぼれてしまうので食べさせて欲しい。
・衣類等の持物を職員が勝手にロッカーや衣装箱から出すので困る。一言声をかけてからにしてほしい。
相談活動後のミーティングで善処して下さるようにお願いする。
・たくさんの衣類を持って入所されている。お元気な頃は、一人で着る服を選ばれていたが、手が不自由になり動くことも困難なため、こちらで出すようにしている。
本人が嫌がっておられるなら考えてみる。
・スプーンで食べておられるのを見守っているが、本人の希望なので担当者に伝えておきます。
・“ロッカーを開ける時は一声かけるようにする”という貼り紙をして下さる。本人からも声かけをしてもらっているという返事をもらっている。
・食事については本人からの要望なので、できるだけ介助するようにするが、全介助をすると、動く手も動かなくなるのでそれはしないでおく。
数年前は、車イスも自走されていたが、今はかなり重症化されている。以前から話される言葉が理解しにくかったが、今では口の動きで判断するぐらい、声も出にくくなっておられる。しかし我々の訪問を待っていて下さり、いろいろと話して下さる。時々笑顔も見せて下さり、喜んでいて下さるため、訪問していることが無駄でないと感じ、こちらも嬉しくなる。
この事例から推定するのは、相談者に対する施設の介護方針が一貫していないのではないかということと、介護に関する施設の姿勢・考え方に利用者の視点が弱いのではないかということである。
事業者の対応をみると、手が不自由だからと利用者の意向とは関係なく衣服を出しているにもかかわらず、食事は「見守り」として、介助すれば動く手も動かなくなるとしている。食事の場面では「自立」を求めながら、着替え等生活の場面では利用者本人の意向に配慮していないちぐはぐさが見られる。
この背景を考えてみると、入居利用者の身体状況が数年間の間に変化していることも挙げられるが、衣服にかかわらず、ロッカーを開けるということは利用者個人の内面に入ることでもあり、施設であるからプライバシーはないかのような職員の姿勢や、介護してあげるのだからとの職員の都合での対応が許されているかのような行動となっている。
介護相談員からの要望を受けた後の「ロッカーを開けるときは一声かけるようにする」という貼り紙に、事業者の姿勢が表れている。
利用者の権利擁護の視点から見ると、本来であれば、ロッカーを開けるときなどは利用者に「ロッカーを開けますよ」と一声かけて、「今日はどんな服にしますか」などと聞くのが当然であるが、わざわざ貼り紙をするというのは、職員の意識が低いのか、それとも施設にとっての「やっかいな利用者」ということを全職員に周知しようとしているのだろうか。食事介助のことも含めて考えるならば、「やっかいな利用者」としているのではないかとの疑念を拭えない。
利用者の施設生活に対する認識と意欲などをどのように支えていくかという視点が施設に不十分であると、利用者の心身の状況や日々の活動について、施設都合の一方的な見方による対応に陥ることがある。
この事例では、利用者が介護相談員の訪問を喜んでいるとのことだが、他の場面や、他の利用者への施設の対応などについても観察する必要がある。