全盲のため、楽しみはラジオしかない。有線放送を自分の部屋に取り付けて欲しい。
最初の頃は傾聴のみにしていたが、出来る事なら本人の希望が叶わないだろうか、と思い、施設に話をする。
1人の方のために特別なことはできない。
相談員と事業所で何度も話し合いをした結果、利用者側が費用負担をすることにより解決できた。
有線を取り入れたことで、嬉しそうにいつも聴いておられ、誰かが有線を引いてくれた、と嬉しそうな顔で報告いただいた。
入所型施設の場合、「集団生活だから」という理由で、利用者の趣味や嗜好、活動、所持品などが制限されることは少なくない。自費で購入したいと言っても購入できない人のことを考えると認められないとか、管理に責任を持てないとか、認められない様々な理由が言われる。措置制度の時代には最低生活の維持の観点から全員一律にという考えがあたりまえのようであったが、現在では、尊厳と権利の保障を基礎に、一人ひとりの生活の確保とニーズの充足というサービス提供が基本となっている。介護が必要な状態であるからこそ、サービスによって希望する生活を営むことできるようにすることが求められている。介護相談員も、集団生活だから個人的なわがままと受け取れるようなことは対応できないと思わずに、利用者がこの場所で安心して生活していけるようになるためには、何が必要か、どのようなサービスがあれば良いのかなどの視点で考えることが大切である。
この事例の場合、視覚障害者にとって耳からの情報は重要であり、その確保は視覚障害者の生活にとってまず考えなければならないことを示唆している。ラジオを聴けば良いとか、テレビの音を聞けば良いということではない。障害がなければ、本を読んだり、新聞を読んだり、テレビを見たり、景色を見たり、自分のそのときの気分に合わせて自由に選択できるが、それらができないということは生活そのものが制限(そのことを障害という)されることを、きちんと認識して欲しい。
視覚障害があると、食事のときも大変な労力が必要だし、食事を愉しむのは味や堅さなどに制限される。食べ物の彩りや形などは見ることができないため、お箸でつまむことが難しいし、食べ残しがあるかどうかも自分ではなかなか把握しにくいので、介助者の「ひと言」がとても大きい意味を持っている。
この事例では、日々の生活の潤いと情報の保障という「聴く」ことについての解決を介護相談員の配慮によってすすめることができたが、視覚障害者の生活支援について根本的な配慮を施設がとれるように、介護相談員も留意して欲しい。